エルメス(Thierry Hermes, 1801年~1878年)

元々エルメスは馬具専門店です。

創設者は、宿を営む両親のもとで生まれた、ティエリー・エルメス(Thierry Hermes,
1801年~1878年)。

ティエリーが生まれた当時は、まだナポレオン皇帝が全盛期の時で、兄・アンリは、
ナポレオン軍に参加して、そのまま戦死します。

そして、両親、ほかの兄弟もティエリーが15歳になるまでに病死し、ティエリーは15歳で
孤児になりました。

1821年、故郷をあとにした若きティエリーは、パリにやってきます。

そしてパリを後にし、ノルマンディに落ち着いた彼は、そこでハーネス製造の修行を積みます。

独立できるくらいになると、パリに戻り、1937年に馬具店をオープン。

1878年にティエリーが亡くなり、跡取りになったのは、息子のシャルル・エミール
(Charles Emile Hermes, 1835年~1919年)です。

そして、少しずつ事業の幅が広がり、鞄や財布などの製造も開始します。

これは、自動車の普及により馬具の生産が落ち込み、ほかの事業に手を広げざるを得ない
状況があったからです。

1900年に、鞍を運ぶ鞄として「オータクロア」が登場し、これが歴史上で最高傑作となります。

本格的な発展に至ったのは、シャルルの跡取りになったアドルフ(Adolphe Hermes)と
エミール・モーリス(Emile Maurice Hermes)のエルメス兄弟の時代のことです。

事業の拡大

アドルフとエミール・モーリスの兄弟は、馬具専門店から出発したエルメスを一気に
一流の革製品会社に引き上げます。

1918年にはゴルフ用ジャケットを発表、これは後のアパレル進出への足がかりになります。

更に1920年代にはアクセサリー部門を創設、1930年代には時計ラインの製造も開始します。

馬具専門店が生き残りをかけてありとあらゆる分野に進出し、それがどれも見事に成功して
今日に至っています。

そのようなことを、創設したティエリー・エルメス氏は思ってもみなかったでしょう。

現在まで続く一流ブランド「エルメス」の基盤をこの兄弟が協力して築き上げたのです。

しかし、その兄弟にも試練が待ち受けてました。戦争の勃発です。

世界中どこもかしこも物資の不足が慢性的なものとなり、フランスにある多くのファッション
ブランドも物不足の影響で生産ラインに問題が生じていました。

エルメスもいっとき事業の規模を縮小し、息を潜めることにしましたが、エルメスの場合は、
事業縮小の裏側に、ナチスには決してものを売りたくない、という気持ちがありました。

生産のための材料が不足している状況を口実に、エルメスは敢えて事業を縮小していたのです。

そして1945年に戦争は終結、1951年にエミール・モーリスが亡くなると、その義理の息子である
ロベール・デュマ(Robert Dumas, 1898年~1978年)が事業を引き継ぎます。

戦後の活躍

戦後は、デュマ親子の活躍により、今日のエルメスの名声が確たるものになります。

ロベール・デュマは、将来を見据えて息子のジャン・ルイ(Jean Louis Dumas,
1938年~2010年)に洗練された教育を施します。

上流階級の子供たちと同じ学校で学ばせ、洗練されたセンスをエルメス社で生かして欲しい
という、強い願いがあったのです。

そして、その期待に応えるかのように、ジャン・ルイは人々を魅了する素晴らしい人間に
なります。

将来のためにニューヨークでバイヤーとしてのキャリアを積み、帰国してすぐエルメスに
参加すると、様々な改革をしていきます。

1970年代に入ると、一時売り上げが衰え、一流ブランドに陰りが見え始めました。

人工素材が台頭してきたにも関わらず、天然素材にこだわるその排他的な価値観を
疑問視する声が多く上がったのです。

当然これは、現在の愛護活動にも繋がるような流れです。

ロベール「ホンモノ志向」のやり方では、限界を迎えていたのかもしれません。

しかし、後継者のジャン・ルイが、写真家のヘルムート・ニュートンと組んで
センセーショナルな広告を打ち出し、更に後継者として本格的にエルメスのトップに立つと、
それまでの業績、鞄やスカーフ部門での方向性などを再検討し、新たにプレタポルテ部門を設け、
エルメスの再生を図ったのです。

その流れが、現在にまで受け継がれます。

現在のエルメス

現在でも、エルメスは昔と変わらないモノ作りをしています。

もっと生産を増やすために、既製品の鞄を大量に作って売るという方法もあったかもしれませんが、
エルメスは敢えてそうしませんでした。

ですから、例えばケリーバッグ(エルメスの主力商品の一つ)が欲しいという顧客がいても、
それを製作するために時間を費やし、すぐには仕上がりません。

自分の鞄を手に入れるために、何ヶ月、時には何年も待たなくてはならないのです。

そうした「ウェイティング・リスト」を敢えて減らさずに、一つ一つ職人が丁寧に作るという
プロセスを守り続けています。

一方、経営の面でも、ある程度安定しているものと思われます。

エルメス社のポリシーでは、当然毎年ほかのブランドを引き離すくらいの額を稼ぐことは
不可能ですが、一定の売り上げを毎年維持しています。

それは、私たちがエルメスというブランドを信用しているからだと思います。

彼らのところに行けば、本物の素晴らしい鞄や革製品が待っている、という信頼の気持ちが
あるので、エルメスはその信頼を受けて仕事をしている限り、安泰なのです。

現在では、LVMHが20%ほどの株を所有し、エルメス社がLVMH傘下に入るのではないか、という
噂もありましたが、今でもエルメスは独立した会社のままです。

そして、これからも伝統的なモノ作りへのこだわりを武器に、信頼に値する商品を提供し続けてくれるでしょう。

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