オートクチュールの戦い

戦時中は、誰もがファッションに時間もお金も費やせないほど深刻な状況でしたが、オートクチュールの
関係者たちにとっても、特に第二次大戦は厳しい時代でした。

1940年に、ドイツがフランスを占拠すると、ドイツ政府はオートクチュール部門をパリからベルリンに
移そうと企んだのです。

元々オートクチュールというのは、最高級の布や宝石といったものから成り立ち、オートクチュール
産業ではまとまったお金が一度に大きく移動します。

その中心がベルリンになってしまえば、産業としてのオートクチュールの発展を根こそぎ持って
いかれることになり、ファッション業界のみならず、フランス政府にとっても大きな打撃になる
はずでした。

当然、オートクチュール関係者はそれに大反対し、何とかドイツ政府を説得しました。

また戦争で物資が不足していて、オートクチュール製品そのものの生産に滞りが出ていた一方で、
安くて進化した既製服のお陰でイギリスやアメリカなどでファッションに注目が高まり、
ファッションの中心がオートクチュールから安い既製服になってしまう危険性も現れました。

そこで、ニナ・リッチが、オートクチュール製品をマネキンに着せた小劇場を開催しました。

その舞台には多くの芸術家やクチュリエが無償で協力し、フランスファッションの長い歴史と
洗練された文化を表現したこの劇場は、大成功を収めました。

この成功がきっかけとなり、再び洗練されたオートクチュールファッションに注目が集まるように
なったのです。

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